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福岡高等裁判所 昭和33年(う)1266号 判決 1959年10月06日

被告人 井藤博之

主文

一、原判決を破棄する。

二、被告人は無罪。

理由

第一、控訴趣意第一の前段(事実誤認)及び同第二(審理不尽)についての判断。

一、所論は、いずれも、要するに、「道具入れの鉄蓋が開いて下に倒れても、バッテリー(+)配線に落ちかかることはない。」という。(なお、論旨の第二は、審理不尽と題して論じているが、その主張する内容は、全く上記のとおりである。)

二、そこで、まず、本件火災における発火原因について、原判決が認定したところを分析してみると、六つの要因を挙げていることが、原判決文により明らかである。すなわち、

(1)  第一に、道具入れの鉄蓋が開いて、バッテリー(+)配線(以下原則として単に(+)線という。)に落ちかかつていたこと。

(2)  第二に、バッテリー(+)線の被覆が磨滅していたこと。

(3)  第三に、昼間と夜間との温度の差により(+)線が収縮したこと。

(4)  第四に、(+)線の被覆の磨滅した部分が、車体鉄骨に密着して短絡し、放電を起したこと。

(5)  第五に、この放電によつて、配線被覆ゴムに引火したこと。

(6)  この引火したゴムの部分から、車庫内の他の可燃物(土間の石炭殻・微粒炭・鋸屑及び車庫内の石炭・むしろ等)へ順次引火したこと

の六つの要因である。

三、原判決挙示の証拠である、(イ)福岡県警察本部鑑識課技術吏員小田原潤治・斉藤衛共同作成の火災現場鑑識結果報告書、(ロ)原審証人小田原潤治、同斉藤衛の各証言、(ハ)司法警察員丸田繁作成の実況見分調書及び失火被疑事件捜査報告書、(ニ)司法巡査原口充作成の焼却自動三輪車の実見報告書、(ホ)原審証人丸田繁、原口充に対する各証人尋問調書等によれば、

(1)  火災現場の焼失した本件自動三輪車について、(+)線が車体鉄骨に密着していたこと(前記要因の(4)の部分に当る)が明瞭であり、

(2)  そして、警察当局が、この事実をもつて、本件火災発生原因の根源であるとみたことも、また明らかなところである。

(3)  ところで、本件火災現場において、当初道具入れの鉄蓋は、開いて下に倒れていたものであるが、最初に捜査に当つた司法巡査原口充が、これを閉めて蓋をしてしまつた。その後で司法警察員丸田繁や技術吏員小田原潤治が、試みに右鉄蓋を開けて下に倒してみたところ、ちようど下の(+)線上にそれが当ることを確認していることが認められる。

(4)  そうしてみると、本件自動三輪車は、構造上、一般に、道具入れの鉄蓋が開いて下に倒れても、(+)線に落ちかかることはないように製作されている(当審における検証調書及び鑑定人北島巌の鑑定書により認められるところである。)ということは、未だ本件の具体的な事例において、丸田繁・小田原潤治の右確認を覆すものとは認めることができない。なるほど、「道具入れの鉄蓋が開いて下に倒れ、(+)線に落ちかつていたこと(前記火災発生要因の(1)に当る。)」が、「(+)線が車体鉄骨と密着したこと(前記火災発生要因の(4)の部分に当る。)」を導く原因をなしたかどうかの点はさておき、前者の事実そのものを否定する所論は、前記証拠に照らして採用できない。

四、以上、要するに、原判決の所論指摘の部分についての認定には事実誤認はないというべきである。論旨は理由がない。

第二、控訴趣旨第一の中段(事実誤認)についての判断。

一、所論は、「原判決は、その理由中において、前記短絡放電による引火(前記火災発生要因の(4)、(5)に当る。)の時刻を一八日『午前一時過』頃と認定しているが、これを認めるに足りる証拠は全くない。」と主張する。

二、(1) 一件記録を精査検討しても、所論指摘の「午前一時過頃」という時刻を認定するに足りる証拠が全くないことは、所論にいうとおりである。

(2) そこで考えてみるに、原判決が認めた、

(イ)  本件自動三輪車の入庫時刻は、原判示一七日午後八時二〇分頃であり、

(ロ)  本件出火時刻は、翌一八日午前三時五分頃であり、

(ハ)  これらの時刻は、原判決挙示の証拠により十分認められるところである。従つて、車の入庫から出火までには、約六時間四五分という時間の経過があるわけである。

(ニ)  しかも、原判決の挙示する、鑑定人野田健三郎教授の鑑定書、鑑定証人野田健三郎の原審公判廷での供述及び証人谷巌の原審公判廷での供述によれば、自動三輪車のバッテリーは、短絡放電した場合には、約五分後には放電終止電圧三ボルトに達する(分りやすく表現すれば、約五分でバッテリーとしての機能をはたさなくなる。)ことが認められる。

(ホ)  本件の場合、もし原判決認定のように、出火原因が短絡放電による引火にあるとするならば、この引火の時刻の合理的な認定は、車の入庫時刻と出火時刻、従つて、その間の約六時間四五分という時間の経過及びバッテリーの機能という、確定できる要素から結論を割り出すより外すべがない。ところが、これらの要素からは、原判示の「午前一時過頃」という時刻を合理的に導き出すことは全くできない。原判示の右時刻は、単なる推量であり、しかも確かな根拠のない推量であるとの非難を免れない。要するに、原判決のこの時刻の認定は、事実誤認の疑があるというべきである。しかし、この誤認そのものが、それ自体で直接に判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいい得ないものと認める。論旨は理由がない。

第三、控訴趣意第一の後段(事実誤認)及び同第三の前段(理由不備)に対する判断。

一、論旨第一の後段は、要するに、「ゴムの部分の引火から車庫内の他の可燃物に引火したという原判決の認定は、科学的論拠を欠く。」いうのであり、論旨第三の前段は、理由不備と題してはいるものの、その主張する内容は、「原判決が、その理由中で、被覆ゴム線全部が燃えるようになると判示したのは理由不備である。」というのであるから、ここに一括して判断する。

二、原判決の挙示する、鑑定人野田健三郎教授の鑑定書によれば、(+)線が老化磨滅して車体その他鉄骨に接触して放電した場合には、接触部に接近している被覆ゴムに引火して燃上することが容易に起る旨及びゴムに引火すると、燃えつつ溶けて滴下し、下にある可燃物に引火し、火災に発展し得る旨が、それぞれ明らかに記載されている。

従つて、所論指摘のように、科学的論拠を欠くという非難は、全く当らないし、また、理由不備の点も全く認められない。論旨は理由がない。

第四控訴趣意第三の後段(理由不備)についての判断。

一、所論は、「原判決にいう、気温の変化等は、普通人の日常予想できないところであり、難きを人に求めるものであつて、被告人にこれを課するのは無理である。」という。

二、そこで、原判決の理由の検討からはじめる。

(1)  原判決文によると、本件の場合における注意義務の内容は、結局のところ、(+)線と車体鉄骨との接触発火に対して、日常厳重に注視して、これを未然に防止すべき注意義務であると解される。

(2)  これとともに、原判決の認定によれば、具体的な本件の場合における(+)線と車体鉄骨との接触発火の要因として、前記のとおり、

(A) 道具入れの鉄蓋が開いて(+)線に落ちかかつていたこと。

(B) (+)線の被覆が磨滅していたこと。

(C) 昼間と夜間との温度の差により(+)線が収縮したことの三個の要因の存在を判示していることが明らかである。

(3)  およそ、過失犯の本質は、罪となるべき事実を予見することができたのにかかわらず、不注意によりこれを予見しなかつたことにあると解することができる。従つて、一般的・客観的に見て、結果の発生を予見できないような場合においては、過失犯の成立は否定されねばならない。分りやすくいいかえるならば、誰しも全く予想もできないような結果であるならば、過失の責任を認めることはできないといわねばならない。

本件具体的な案件の場合において、(+)線と車体鉄骨との接触発火という結果が、一般的・客観的に見て果して予見できるものであつたかどうかを検討する。

(4)  原判示四月一四、五日頃の接触発火についての検討。

(イ) 原判決は、四月一四、五日頃(昭和三一年を略す。以下同じ。)(本件火災の二、三日前に当る)本件自動三輪車の(+)線と車体とが接触して発火したことがあると判示する。

(ロ) この接触発火の原因が何であつたかは、原判決文上、必ずしも明らかではない。その原因が、

(A) (+)線の、テープを巻きつけてあつた箇所の修理不完全又は(+)線の老化磨滅によるものであるのか明らかではない。(原判決の認定によると、「本件自動三輪車は、一月中旬頃―本件火災の約三ヶ月前―から(+)線が老化磨滅して、運転中車体その他の鉄骨に接触放電したことがあるので、テープを巻きつけ」てあつたとある。)

(B) しかしながら、原判決の認定によると、他面、三月九日(本件火災の一ヶ月以上前)に行われた車輛検査には合格しており、(+)線と車体鉄骨との接触発火の事実は、右のとおり、本件火災の直前においては、一回だけであるに過ぎない。

(C) 原判決挙示の証拠によれば、本件自動三輪車が本件火災の前夜、正確にいえば、入庫のときまで支障なく使用でき、運転が続続できたこと。

(D) バッテリーの機能(前記第二の二の(2)の(二)に記載のとおり、自動三輪車のバッテリーは、短絡放電の場合、約五分でバッテリーとしての機能をはたさなくなる。)

(E) 本件火災においては、昼間と夜間との温度の差による(+)線の収縮が一要因をなすと認定されていること。

等の事実を総合して考えるとき、右の接触発火の原因は(+)線の被覆の磨滅によるものではなかろうかとの一応の推測はできるとしても、本件火災の場合のような、道具入れの鉄蓋が開いて(+)線に落ちかかつたことに基因するものとは全く推測することができないし、かつ、道具入れの鉄蓋の鍵を押し上げるバネが外れやすくなつていたことは、原判決の全く判示していないところであり、一件記録上、これを認めるに足る証拠も存在しない。

(5)  このようにして、(+)線の被覆が磨滅していたとの仮定の下において、本件の具体的な場合において、(+)線と車体鉄骨との接触発火とい結果が、一般的・客観的に果して予見できるものであつたかどうかの本論について考察するに、

(イ) 原判決は、この接触発火の要因の一つとして、昼間と夜間の温度の差による(+)線の収縮という自然現象を掲げており、かつ、このような現象は、普通一般に、自動車運転者が考に入れないことであることは当審における証人橘薗清の証言によつて明らかなところであり、

(ロ) 本件火災発生の時刻が、原判示のとおり、午前三時五分頃であつたこと、すなわち、本件自動三輪車を入庫した時刻(前夜八時二〇分頃)から数えて、約六時間四五分経過後であること

及び前項((4)項)に記載の各事実をもすべて総合して考察するとき、

原判示のように、本件自動三輪車を入庫するに当つて、道具入れの鉄蓋が開いて(+)線に落ちかかつていたことを点検せずに、そのまま車庫から立ち出たとしても、(+)線と車体鉄骨との接触発火という結果は、一般的・客観的に見て、予見できるものであつたとは認められないものといわざるを得ない。

当審における証人橘薗清・同船越恒人の各証言中、道具入れの鉄蓋が例れて(+)線上に落ちかかつたために起きた発火をしばしば経験したという供述があるが、車の種別・新古・時期・(+)線の磨滅具合等において、具体的な本件の場合と場合を異にする経験であるから、本件の場合にそのまま当てはまるものとは、とうてい考えることはできないので、右各供述を採用することはできない。

以上の理由により、本件の場合、原判示の理由をもつてしては、被告人に失火責任を認めることはできないものというべきである。一件記録を検討しても、また、当審における事実取調の結果によつても、右の認定を覆すに足りる証拠はない。原判決が、それにもかかわらず、被告人に失火責任を認めたのは、理由不備の違法があるか、又は事実を誤認したか、或は、過失責任に関する法則を誤つて適用した違法があるか、いずれにせよ、判決に影響を及ぼすことの明らかな違法があるから、原判決は破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

第二、破棄自判。

以上の理由により、刑訴法第三九七条第一項に従い、原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書により、本件について、さらに判決する。

一、本件公訴事実の要旨は、つぎのとおりである。

被告人は、井藤商店の店員で、法令に定められた自動三輪車の運転資格をもつて同店所有の自動三輪車の運転に従事中のものであるが、昭和三一年四月一七日午後八時二〇分頃、田川市西区本町四丁目一、三四七番地所在、井藤商店所有の車庫(木造平家亜鉛板葺八、七五坪)の南側端に、その頃まで運行した自動三輪車(福第六―二六三九九号、ダイハツ号一九五四型)を東向きに入庫させたが、同車は、同年一月中旬頃からしばしばバッテリーよりセルモーターに至る(+)配線が老化磨滅して、運転中車体その他鉄部に接触して放電して、危険状態を起したことがあるので、かような部位に激動若しくは圧迫を加えれば、同様の危険発生の虞があるのに、不注意にも何等危険ないものと軽信し、同車の維持管理並びに発火の危険に対する安全を確認せず、漫然と立ち出で、右バッテリーの上に取りつけてある道具入れの鉄蓋が開いて、前示不完全なバッテリー(+)線に落ちかかり、車体鉄骨との間に圧迫していたのを気付かず、同様の状態のまま放置したため、時間の経過につれ、右(+)線と鉄骨・鉄蓋の間に放電を起し、次第にその度を高め、翌午前三時五分頃、同所附近の配線被覆・油類等の可燃物に引火させて発火させ、因つて、井藤商店所有の木造平家建八、七五坪を焼きした外、諫山勝一外八名が現に住居に使用した住家八棟及び植木留吉外三名所有の倉庫・堂宇等四棟(別表省略)を焼きしたものである。

二、しかし、右の事実は、前記説示のとおり犯罪の証明がない。

そこで、刑訴法第四〇四条・第三三六条後段を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 藤井亮 中村荘十郎 横地正義)

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